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追悼 吉本隆明平成24年4月1日

「横超」を飲みながら<横超>を考える座談会は、平成22年12月21日吉本氏宅で開かれました。当日北上野の当事務所に共同代表の野村女史、友人の写真家倉持承功、座談会出席者元ブンド叛旗派菅原則生が集まり、私を含め4人で「横超」と摘みの乾き物を携えタクシーで7、8分の吉本氏宅に向かいました。座談会の客間には、日本酒に合う料理が見事に準備され、長女多子(さわこ)さんに恐縮いたしました。

座談会は、乾杯から始まり、前半は、菅原(通称横目)は全く喋らず、私は「横超」をひとりで飲み続けながら進行し、吉本さんは、にこやかに対応していたように感じられました。後半私の馬鹿話に痺れを切らした横目が加わり少しそれらしくなっていきました。予定では1時間半位を考えていたのですが、終了は2時間半を超える形となりました。(座談会の模様はビデオ録画し、2枚組みのCDで保存されていますので、ご希望の方は当事務所にご連絡下さい。非売品です。)

当初、立教大叛旗の古賀英二氏が加わる予定でしたが、私と横目が考えた趣旨と彼が聞きたいことの間にずれがあり、拡散してはいけないと気を使い出席を辞退しました(酒を飲みながらの座談会で、酔っ払いの私のことなので充分拡散しているのですが・・・)。

古賀氏の吉本氏への追悼文を掲載いたします。合掌というより有難うございました。(前川)

吉本さん追悼

古賀英二

 吉本さんが亡くなった。やはりとても悲しく、体の芯が抜けたような虚脱感がある。肉親や親しい友人が亡くなった時に近い。吉本さんと直に会った人は、「男性の本性はマザーシップ」と太宰から吉本さんが言われたことを引いて、吉本さんも優しい方だったと言っているが、吉本さんが亡くなって思うことは、吉本さんは僕らにとって父親のような人だったということだ。これは、吉本さんがご存命中はあまり考えないことだった。吉本さんは、天皇制国家や旧来の共産党のようなあらゆる擬制の権威を批判する人だったし、薄っぺらな倫理的強迫も嫌った人だったから、僕らにとって助け舟のような人として受け取っていたことが大きかったと思う。でも、それはよく考えてみれば、精神的な支えや柱となってくれたことで、まっとうな意味で父親的存在だったということだ。そのことの大きさをあらためて噛みしめている。高橋源一郎が「吉本さんが亡くなって・・僕らは一人になった」と言っていることはそのとおりだ(朝日新聞3月19日)。

 吉本さんをはじめて読んだのは、「書物の解体学」の「ロートレアモン論」だったことをよく覚えている。当時、月刊誌「海」に「書物の解体学」が連載されていて何気なく読んだのだった。大学に入ったばかりの頃だった。そのころ少し仏文かぶれでロートレアモンなどを粋がって読んでいたので、目についたのだと思う。吉本さんはロートレアモンの「マルドロールの歌」を題材に、ロートレアモンと<倫理>について論じていた。ロートレアモンなんて倫理というものから一番遠いところの世界だと思っていたので、意表を突かれた感じで驚き、そして引き寄せられていった。吉本さんの「ロートレアモン論」を理解し得た訳ではないが(今でもよく理解できていると思えないが)、吉本さんの言う倫理は僕が考えていた倫理よりはもっと深いところから出てきているように思えた。それは倫理的に重たく感じたというのではなく、そういうふうに考えるのかという驚きに近いものだったと思う。それから、強い関心をもって「書物の解体学」シリーズを読み続けていった。それからしばらくしてだと思うが、「心的現象論序説」の単行本が出た。「心的現象はそれ自体として存在し得るか」というフレーズに決定的な衝撃を受けたことを覚えている。それは自分が探していたテーマに正面から応えているように思えたのだ。それ以来40年近くになるが、吉本さんの著作や発言につきあってきたことになる。

 吉本さんを読み始めるのと前後して、大学での学園闘争を経由して、政治新聞の「叛旗」を読み始め、それからしばらくして政治活動に入った。吉本さんの政治思想関連のものは「叛旗」を通じ、あるいはそれと並行に入ってきた。いわば遅咲きの読者なので、沖縄問題から、全共闘、60年安保というように時代を遡るような読み方だった。活動家としては全共闘以後の最後の方の活動家で年数も浅い末端の活動家だったが、政治組織の解体過程で考えたことは、詰めていえば内ゲバはやらないということだった。ひとつの政治組織の解体という問題も大きかったが、それ以上に当時の内ゲバ状況に心理的・精神的にどのように対峙してゆくかということが自分にとっては大きかった。それは共同性の問題としては党派性の止揚ということだが、個体の幻想や精神にとっては関係妄想との対峙の問題だった。党派性の止揚も関係妄想という概念も吉本さんの言っていたことだから、やはり吉本さんに支えられたのだと思う。

 叛旗が解体して以降、私的には就職し、結婚、子育て、仕事の中での勉強など時間の目詰まりの中で、雑誌「試行」やその他の書物を通じて、細々と吉本さんの書いたものや、発言を読んできた。吉本さんの書いたものや発言の中でも自分として一番注目してきたのは、心的現象論などの心的領域に関する仕事だった。それは若い頃からの自分の資質的なものもあるが、また身近なところで精神の病に向き合うという現実の契機もあった。その面で難儀していた頃、雑誌の「マリクレール」で母型論の連載がはじまった。母型論の中の病気論や大洋論には特に示唆を受けたし、助け舟をもらったような感じだった。母との言語過程以前の関係に人間の精神の原基をおく吉本さんの考えには批判も多いが、僕にはやはり的を得ているという実感がある。

 50歳代も半ばを過ぎた頃、誰でもそうだが仕事や子育ても峠を越して、吉本さんの書いたもの、特に、心的現象論-母型論、共同幻想論などの本質的なものをもう一度しっかり読んで勉強しようという気になった。自分の乏しい人生経験などを踏まえて、もう少しまっとうな理解が得られるのではないかと思えたのだ。自分の関心から言うと、江藤淳が「成熟と喪失」で戦後社会における母性喪失・変容を指摘し、それから50年経って、幼児虐待が横溢し、自殺が3万人を超える日本社会の精神状況を母型論などでの考察をベースに、吉本さんがどう考えておられるかを聞いてみたかった。友人を介して、吉本さん宅にレジュメを送ってもいたが、間に合わなかったようだ。

 去年は3.11の大震災と原発事故があって、時代を画する年だった。脱原発の思想の色合いとは別に、地域住民の人たちが生活圏を喪失させられているという重い現実がある。そんな中で、吉本さんは、原発自体を技術として肯定する発言をした。論者の中には、ボケている吉本さんをマスコミが利用したという者もいる。そのような面が全くないとは言いきれないかも知れないが、吉本さんの発言は核心部分では信念に基づいたものだと思う。反核異論のときやオウムのときもそうだったが、吉本さんらしい最後だったと思う。

 冒頭に戻るが、あらためて「書物の解体学」の「ロートレアモン論」を読んでみた。マチウ書や歎異抄を引いて論じている。吉本さんにとって倫理というのは大きかったのではないかとあらためて思ったし、その倫理の規模が違うのだと思う。振り返ってみると、人生の節目節目で吉本さんの思想との出会いがあり、まだまだ汲み尽くせないものがある。その意味で僕らにとって吉本さんはまだ終わらない。
だから、とりあえず<さようなら>。